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それでも青春は続く

バリ島日記④

 日本に住んでいると全く意識しないような問題が海外では当たり前のように起きる。両替所でお金をチョロまかされたり、タクシーで適当な場所に降ろされたり、水道水が飲めなかったり、トイレに紙が無かったり、スリに遭ったり、まあそういった類のトラブルだ。しかし、大抵のトラブル例はガイドブックに特集が組まれていて、旅行者のほとんどは事前に学習し、未然にそれらを防いだり、対策を考えたりすることができる。ただ、海外に到着してしまうと、気分が高揚してか、異国の地に立っているという自己陶酔感のせいか、妙な万能感に支配され、些細なことには気を使わなくなるのものまた事実である。そんな気分の中、あまりにも当然に、ごく自然に出会ったのなら、例えるなら日本でそれに遭遇したのなら、巻き込まれなかったであろう事件の一つについてここに記しておきたい。問題は犬である。

 バリ島の中心街、レギャン通りには沢山の外国人観光客と現地の行商人で賑わっている。その雑踏の中、ときどき犬を見かける。ほとんどの犬がやせ細っていて、虚ろな目をして、とぼとぼ歩いているか、舗道で眠りこけている。鎖もせずに、だ。昼間、バリに訪れた人は皆、他の旅行客と行商人と犬をヨロヨロ避けながら、町を散策することになる。僕もその例外ではなく、確かに鎖に繋がれていない犬を目撃し、「なんて自由な国なんだ!」と思っていた。思っていたはずだったのだ。

 夜、夕食を終えた僕らは、ホテルまで歩いて帰ることにした。20分ほど歩けば着くだろうという見込みだったし、足元の舗道の陥没にだけ気をつければ問題はないと結論づけたからだ。現地のスーパーマーケットで約600円で購入したサンダルを履いて、夜のバイパス沿いをぺたぺた歩く。夜風は涼しく、昼間の熱気がウソのように爽やかで、すこし肌寒いくらいだ。明かりといえば、猛スピードで行き交う自動車のヘッドライトくらいで、街路灯はほとんどない。物陰から、悪漢が飛び出してきたら一巻の終わりだろうね、と笑いあった。10分ほど歩いた時である、後ろから物音がした。振り返ると、白い痩せた犬がこちらを見ていて、目が合ったように感じる。バリにいる犬は大人しいと、昼間の散策でわかっていたし、大丈夫だろうと、目線を外して歩き始めた。すこしして、一緒に歩いていたY氏が不安そうに僕に言った。

「まだ、ついてくるよ」

その時、その白い犬が走りだした。標的は、間違いなく!

 僕らは互いに何を云うでもなく、とにかく走りだした。サンダルで、夜の異国を駆け抜けた。数百メートルは走ったような気がする。後ろを見る余裕はなかった。兎にも角にも、白い犬、白い野犬、白い悪魔から逃げ切ったのである。

 何事も起きなかった。そう結論づけよう。少しでも逃げ足が遅かったら、あの野犬が野生の本能のまま本気で襲いかかっていたら、と思うとゾッとするが、いや、大事には至らなかったのだ、狂犬病にはならない。しかし、当たり前のことを、当たり前のように気をつけるべきであった。鎖をしていない犬が昼間の間、町を歩いていたのなら、夜もまたそうであると。犬は動物であり、動物の行動は読めないということを。そして野犬は存在するということを!

 その後は、路肩で立ちションをしていたタクシー運転手を捕まえ、そのままホテルに送ってもらった。散々遠回りされた挙句、とんでもない金額の料金を請求されたが、野犬に襲われるよりはマシだ、と大人しくそれを支払った。金で解決できるに越したことはない。命のほうが大事なのである。アーメン。

 つづく