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それでも青春は続く

文化庁メディア芸術祭シンポジウム「新しい文化を生み出すために」(2010/2/4)

2010/2/4文化庁メディア芸術祭の中で行われた、テーマシンポジウム「新しい文化を生み出すために」に参加、速記したものです。単なる聴講録ですが、どなたかの参考になれば幸いです。


登壇者

シニアキュレータAustriaCentre for the Moving Image : Aiessio CAVALLARO
Eeybeamエグゼクティブディレクター:Amanda MCDONALD CROWLEY
情報科学芸術大学院大学 IAMAS名誉会長 坂根厳夫 
文化庁副長官 青木保

※文章内表記
Aiessio CAVALLARO氏 →CA
Amanda MCDONALD CROWLEY氏 →M
坂根厳夫氏 →坂根
青木保氏 →青木


青木:挨拶。メディア芸術祭は中々一般に広がらない。一般・国会の論調としてメディア館(漫画の殿堂)は低俗なものとして取り止めになってしまった。都市化することで同じような文化が作られる。ファッションや食文化、生き方等、同列化している。中国韓国は国策としてアニメのクリエイターを育成している。クリエイターが新しいものを求める一方、ケータイ的鑑賞や電子書籍とか電子鑑賞ができるようになった。そこで今までの美術館をどうするか、となった。美術館はよく墓場であると、揶揄されるが、一方でまとめて展示する場も必要。日本にはメディア芸術のそれがない。ケータイ美術鑑賞とか、どんどんプライベート化しているものの、メディア芸術は公共的。メディアアートの位置づけ、価値付けの問題もある。情報には、早い情報と遅い情報がある。これをわけて考える。今は早い情報が重要視される。一見して、メディアアートは早い情報であるが、実はこれを詳しく見る必要がある。遅い情報も大切なことを大いに含んでいる。


坂根:私は作家でも何でもない。しかしアートと先端科学の境界を調べてきました。結果、半生はジャーナリストになりました。境界領域を結ぼうとおもった。出版社では科学部→文化部へ移行した。シーグラフと展覧会活動をして90年代。慶応大学で6年間授業を受け持っていた。その後、IAMASを設立。2003年に引退した。


CA:各方面に感謝。オーストラリアは文化的に寛容的、革新的である。acmiに勤務。以下acmiの説明-。オーストラリアは文化、アート面の財政支出が多い。文化的多様性が大切。ただ単に収集するのではなく、活発なインスタレーションを与えたりする触媒としての働きになるべきであると考える。


M:ニューヨークのアイビームは新しい作品の研究も行っている。技術を学ぶよりも参加学習が重要であると考えている。オープンソースパブリックドメインの重要性を強調している。

司会:では1つ目のテーマ。ネットワークやデジタル化の変化によって作家クリエイターがどう変化を受けるのか。ネットワークやデジタル化の変化などによる表現する環境や伝える環境の変化と伴って、もたらせられる各国の文化的変容について。


坂根:それぞれの作家とは文化的背景ののなかで作られたコンテンツを出していく。それが、異なる文化の者に新鮮な影響を与えて、それを受けてその作家も文化的背景の作品をだしてくる。つまり連鎖的発想。これによって広がることができる。


CA:見る側。見る側は作り手よりも遅い進歩をする。家電なんかは良い例。若い者は新しい技術を使って芸術を理解することができるけど、年寄りはそれにすぐ対応出来ない。そういう層も含め、広く広めるにはどうすればいいかを考えるべきだ。専門家でないオーディエンスにどのように理解させるかというのを考える。手塚治虫もディズニーも同じく価値があるモノだと認識すべきだし、それを伝えるのが大切な仕事ですね。


M:増大するネットワーク化する環境におかれている。多くのアーティストは移動性を持っている。このようにして作られる作品というのは世界中で同時に同じ作品を作ることになります。つまりオープンソース。これが多様性を減らすのでなく、むしろ多様性を得ることになるのです。この移動性には持続可能性が大切。アーティストは物理的な移動せずに、インターネットを使ってコミュニケーションをとるのです。


司会:二つ目のテーマ。デジタル化は文化の画一化をすすめるような側面があるかないか。


坂根:文化の多様性をどのように捉え、活動の中で対応していくのか。デジタル技術を使うことで、相互影響により文化が均される可能性がある。しかし自発的作品にはその背景は表現されうるし、むしろ、その相互影響が多様性を触発するのではないか。今ではインターネットを通じて歴史的文化遺産を共有する。アンコールワットを360°見ることが出来る。そういくものが相互影響を与えるきっかけになるのではないか。
オンラインギャラリー:http://artport.whitney.orgや YouTube


C:(YouTubeはどうかと聞かれて)標準化、フラット化ではなく、ハイブリッド化になる。ハイブリット化プラクティスです。1+1h=3になり得る。お互いの文化を尊重しながら、それまで使った道具や生活によって変わる。オンライン上でする共同作業ではダイレクトに互いに影響する。でも、画一性は避けられない。退屈なものもできうる。でも退屈なものよりも、面白いものができる事の方が多いはず。


M:さっき言われた、ハイブリット化プラクティスという表現は気に入った。ウェブの登場によってモノを知らなくても良くなった、ということがある。ウェブの登場以前は知り得なかったことを知ることができる。互いに学び、全うすることができるので、アーティストエビデンスの重要性を指摘したいと思います。すべての言語の90%はウェブ上に出てきません。そういう意味では、英語が
共通言語になったのは恥ずかしい。コードもそうです。オープンソースの作り方を書いたルールブックをヒンディー語にしたり、多々の言語にしています。これも多様性ですよね。


坂根:文化の多様性を維持しながら新しい文化を生み出してゆくために、各国のミュージアムやフェスティバルが連携してできることはなにか。招待キュレータを多くの国から招く新しいテーマによるアートの公募展を行ったり、シンポジウムを行う。芸術分野だけでなく、科学、理工系やメディア芸術、さらに民族学歴史学など別種の分野との提携ができるようにしてほしい。科学・技術・技術を結ぶメディアとしてのジャーナリズムが重要。MITPpessのLEONARDOだった理工系に偏っている。今や個人が情報発信できるのだから、一般人の作品や、一般人のインターネットミュージアムの出現が望ましい。


M:食料分野もでてきていいですよね。食料というのも立派な文化である。必ずしも、博物館があまりにも制度化していて流動性がない。文化・アートは常に動くのだから、これをおくくるシステムが古いのではないか?文化というものは解釈でも変わるし、もっと多様な見方ができる。


C:1990年代半、委員会の中で、アーティストを芸術以外、建築やラジオなのの分野においてみたことがる。それにより、彼らは新しい考え方につながることもできた。分岐ではなく融合です。どういうコンテクストの中で、文化がおかれるのかというのを考える事が大事。すべての受け手がネット上でバーチャル体験をしたいわけではないのです。ただ、多様化していますから、そういう物が悪いとは言いません。物理的な空間の中における体験も時には必要なのです。どんなに古い作品でも、最新の作家に影響をあたえてるわけです。今回の(2010年の)作品も、50年後には古典になる。ニューメディアアートを評価するためにはオールドアートをも理解してないといけません。その必要があります。

以上です。