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それでも青春は続く

平成21年度第13回文化庁メディア芸術祭シンポジウムレポート

2/3~2/14の間行われた「文化庁メディア芸術祭」内で催されたシンポジウム「マンガとアートが出会うとき(2月3日)」の速記録です。可能な限り雰囲気を残しつつ、まとめたつもりです。稚拙なまとめですが、誰かの参考になれば幸いです。

 
 
シンポジウム「マンガとアートが出会うとき」
登壇者:しりあがり寿(漫画家)/金澤韻(川崎ミュージアム学芸員)/森川嘉一郎(明治大学准教授)
 
金=金澤韻氏 森=森喜一郎氏 寿=しりあがり寿氏 の略です。
 
 
 
 
金澤「学芸員の仕事は収集・保存・展示・普及。展覧会以外では、何をしているのかと聞かれるのですが、普段はテーマを考える仕事をしていて、むしろその方がメインですね。」
 
金「ドラゴンボールについて修士論文をかいて、それがマンガとの関わりのキッカケになりました。」
 
金「現代美術というのは、同時代性を共有するものだと、私は考えていたのです。しかし、そう簡単には行きません。何を展示するか、つまり原画なのか資料なのか、どう展示するかどう表現するのかが非常に難しい。また許諾を得るのが困難です。漫画家の仕事というのはタイムスケジュールが酷で、そんな暇ない!と断られることが多いですね。それと内容の軽視(行政側の思惑)という問題もあります。有名なタイトルのマンガを展示すれば良いみたいな(笑)。役所も、市民に喜んでもらいたいと思っているので、そういう風潮はあります。」
 
森川「なぜ大学でマンガを教えるのか、と不思議に思われるかもしれません。その前提として、大学に「漫画」があるのかと言う点が見過ごされやすい。文学部の図書館には歴代の古典小説がおいてありますね、普通。でも、ジャンプを置いてある図書館はない。大学でマンガを教えるなら、そういう図書館も研究インフラとして必要。では、どこに歴代のマンガがあるのか。その辺の書店にある漫画はせいぜい2~3年。ブックオフだって、平成からの漫画しか置いてないです。でもこれが、個人の蔵書では多いんですよ。」
 
森「付属の出身だったので、大学の講義内容が筒抜けなわけです。で、建築に進んだ先輩が模型やパースを書かされてめんどくさい、という愚痴を日々聞かされるわけです。でも僕はそれがいいと思った。ガンプラを作る技術が活かせるじゃないか!と考えたわけです。で、建築に進んだ。そこで、何故アキバは電機の街からオタクの街に変わったのかという事を調べ始めたんです。そこからオタクの中身(コンテンツ)にシフトした。」
 
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森「このポスター(OTAKU展のポスター)。東京都写真美術館に貼ってあったものです。で、ここにその時にやっている展覧会のポスターを引き伸ばしたものが普段は貼ってあるんです。この写真を見ると、妙に隙間が空いてますね。ここに、さっきのポスターを貼るはずだったのですが、管理局である恵比寿ガーデンプレイスに聞いたところ、「止めてくれ」、と。美術館の方も尽力を尽くしてくれたのですが、許可はおりませんでした。でもこれ、ベネチアの街には堂々と町中に貼ってあったんですよ? しかも大人気。「売ってくれないか?」という問い合わせも多かったし、実際数日で全て盗まれてしまいました(笑)。もっと刷っておけば、金儲けできたんじゃないかと思いましたね。」
 
森「で、図書館を作るにあたって、漫画を分類しないといけないんですが、これが難しい。元々、書籍の中の、ごく小さい分類の一区各に納められていたものですから。特に同人誌。」
 
寿「漫画、アニメ、ゲームを纏めてガニゲって呼ぼうとしたことがあったのだけれど、失敗した。可愛くないからね。」
 
森「動漫という言葉が中国にはありますけどね。そうそう、「漫画」を掲げるとアニメ・ゲーム業界が協賛しにくいんですよ。何か、良い呼び方ありますか?」
 
金「ないですw 中国が新語を造るのが早いですよね。我々も作りましょうw」
 
寿「子供の頃、漫画は幼稚だと言われた。読んじゃいけないって。だから小説に、ファインアートに追いつかなくちゃいけないと思っていました。でも今や、文化的にも、国にさえ認められた。どうして世界的にこの漫画なんかが認められるものになったのでしょうか?」
 
森「広く浸透した理由、それを説明することは、今は危険だと思っています。まだ裏付けが出来ていない。何故人気があるのか、という基礎調査は重要。同人誌は省庁が簡単に首を突っ込めるほどの問題ではない。権利関係は難しいです。ただ、海外と違い、人が漫画家を作りやすいとは思います。編集者もコミックマーケットにスカウトに来るのです。そういう底辺の広さが頂点を支えているのです。」
 
寿「マンガの絵柄がアートに影響を与えていますか?」
 
金「それはありますね。奈良美智さん、ヤマベケンジ、タニグチケンジ、のびアニキ(金子さんというらしい)など、色々な影響をしていると思いますね。ただ、これはそんなに重要ではない。サブカル界にいるのだから、影響を受けるのは自然だと思います。それに、コレがこのようにアートに影響しているとは具体的に言い切れない。村上隆は・・・取り扱って良いのかなあ?」
 
寿「キーワードはなんでしょう?」
 
金「絵柄の問題が取り上げれていること。」
 
森「今の、日本のサブカルというか、そういう文化は海外の人には分かりにくいようにしてあるのです。下手に理解されてしまうと、向こう側の理論に取り込まれてしまうから。
歴史を見るとこうです(スライドを写す)
 
自由市民→知能
奴隷→技能
 
頭脳労働は貴族がしていた。高級だったわけです。芸術もココに入っていた。ここでいう芸術は詩や音楽のことです。この階層に絵画を入れるために、ルネサンス期には絵画に幾何学などの理論を組み込むようになったのです。頭脳労働ですよ、っていうアピールです。こういう図式はいまでも続いていて、こういう様子です。
 
純粋 ― 応用 ― 技術 
天才・芸術家 ― デザイナ ― 職人 ←上下で対応させてるつもりです。
 
いま、これも変わりつつあって、純粋芸術家がデザイナの領域に介入したり、逆に純粋芸術をデザイナが取り込んだりしてデザイナ製品を作ったりするのです。非常に入り乱れている。」
 
森「近代において前衛を評価するようになった。だから、太古の文化を取り入れたりすると、「お、新しいじゃん」となるわけです。ピカソも古代の仮面を絵の中に入れています。いままでは、前衛を受けて、デザイナへという動きであったが、オタク向けにデザイナがデザインをしたものを、そのままアートという枠に載せて表現しようという動きになった。」
 
森「普通、流通チャンネルで取引されるものをアートと呼びます。まだマンガなんかはそう思われていない。」
 
寿「アートは1本100万円で売れるが、マンガは1冊400円で何百冊売らないといけない。これはどうでしょう?漫画家としては大問題ですよ。」
 
森「誰がマンガをアートにするのか、それをして誰が得をするのか。っていうことを考えるとメディア祭も違う風に見えますよね 笑」
 
寿「大学で学生を見ていると面白いですよ。アート指向の学生は外を見て反応を気にするんです。マンガ指向の学生はそのマンガが面白ければいい、っていう風。そうして見ると、マンガ指向の学生のほうが強いです。アート系学生はその勢いに、たじろいでいる。」
 
森「鎖国的な方が良い文化を生むのが日本。漢字が入ってきた後は、何百年もかけて平仮名ができたんですよ。今は精神的鎖国が起きている。だから、鎖国オタク文化が発達している。」
金「だから、デザイナは鎖国してしまえば良いんですよ。もう出て行かなくて良いと思っています。」
 
寿「ここでまとめる、って構成にあるんですけど、まとめられません 笑。興味深いお話ありがとうございました!」
 
 
以上です。個人的には鎖国的な方が良い文化を生む、という点が気になりました。
 
 
 
手でその場で速記しているので、抜けてる部分も多いのです。ですから文脈もメチャクチャになってしまいました。ゴメンナサイ。
 
これから、精度を上げていこうと思います。ここまで読んで下さりありがとうございました!