good by juvenile

それでも青春は続く

ダリフラについて思うこと 感想とか批評とか雑感的なもの

 

ダーリン・イン・ザ・フランキスを観ている。打ちひしがれる気持ちになったので適当に書く。

f:id:akobe538:20180130230812p:plain

ダリフラの憂鬱

 この作品に登場するロボット―フランクス―は、キスや疑似セックスによって起動する。擬似的な行為により「心が通じ合う」と操縦する事ができるらしい。そういう操縦方法のロボット物が無かったわけじゃないけど、ここまではっきり描いている作品も珍しい。ゼオライマーじゃないんだからさあ。

 だが、この世界のコドモ(パイロット達)は、実はキスも知らなければセックスも知らない。名前すらない。恐らく適切な教育も受けていない。ただ怪獣と戦う為だけに生きている存在として描かれている。

 そんな純粋なコドモ(キスも知らないのだから、マジで純粋だ)が、上記のようなスタイルで戦いに駆り出されているのである。虐待的ではないか。心が荒む。

思春期的な幻想

 ダリフラを見ていて、「謎の彼女X」みたいだなと思った。謎の彼女Xでは唾液の交換を通して心がつながり、お互いの感情や気持ちが分かり合える特別な関係を描いていた。この唾液の交換、言い換えれば、粘膜的接触=キスやセックスによって、心が通じ合うという構図だ。だがこの構図は、現実世界から観察すれば、完全な「幻想」なのだ。ジュディ・オングも歌っていたはずだ、「好きな男の腕の中も違う男の夢を見る」と。キスやセックスをしても人の心はつながないし、相手の気持ちは理解できない。純粋だった僕らには見えていたはずの、それをすれば心が通じ合うだろうという希望は、思春期の終わりと共に打ち砕かれる。「思春期的な幻想」だったのだと思わされるのだ。「世知辛いのじゃ(byねこます)」である。

 象徴的なシーンがある。第2話の劇中、ヒロ(おちこぼれ主人公)とイチゴ(幼馴染的ヒロイン。幸薄い。)はキスをする。フランクスを操縦するために必要だと思われたからだ。しかし、うまく起動しない。ヒロ(やればできる子と自分では思っている)とゼロツー(メインヒロイン。鬼の子。イチゴにライバル視されるが相手にしてない。)がしたときはものすごい力を発揮したのに、だ。ヒロとの関係を上手く築けなかったイチゴは絶望し、涙を流す。思春期的な幻想の前に打ちひしがれるのである。

 可哀想に。大人になれば、こんなことくらいで傷つかずに済むのに。涙なしには見られない。

青春ものとしてのダリフラに期待

 このブログを書いている時点で第3話までしか放映されていない。だから今後のことはわからない。でもできることなら、主人公たちが傷つきながらも成長する物語出会って欲しいと願っている。

 古今東西、どんな時代を探しても、人の心を惹きつけるのはボーイ・ミーツ・ガールでありビルドゥングスロマンだ。人とつながったり、拒絶されたり、出会いがあったり、別れがあったり、全ての経験が僕らを導いてくれるはずだ。閉鎖された世界で、限られた人間関係のなかで戦っている少年少女が救われ、青春を謳歌できることを信じて、次回放映を待っている。

最後に

エンディングテーマの発売はやくしてくださいもう待てません!

各話のエピローグ→EDの入りが最高にGET WILD