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それでも青春は続く

夏目漱石の『こころ』は真性の悪女(ビッチ)である

 『こころ』について考えてたら腹が立ってきたので適当にいろいろ書く。

 本作は夏目漱石の言わずと知れた代表作である。多くの日本人が中学・高校時代に授業で接する作品だ。「先生」「K」「お嬢さん」の三角関係が取り返しのつかない悲劇を生み、主人公の「私」によってそれが語られる。あえて説明するまでもないほど知れ渡ったストーリーである。先生の抱える罪悪感について学校で習った人も多いはずだ。

 そんな授業で大々的に取り扱われるような作品であるからして、歴史的名作であることには間違いないが、先ほど『こころ』を読み返してみて、博識の知人たちと議論をしてみて、こころを理解しようとすればするほど、こころに弄ばれているような気になってきた。

 こころはある種の写し鏡であり、読者の心境やバックグラウンドを色濃く反映させて読んでしまう、そういう性質があるらしい。

 例えば、BL好きには、先生と私がホモセクシャルであるという読み方(後述)ができるし、個人主義や都会と地方という問題について考える人であれば、「田舎は悪である」という物言いへの共感があろう。学生ならば「私」のモラトリアムへの共感、地方出身者であれば「私」の実家での振る舞いやその土地風俗の思想への嫌悪感(大学をでたから高い給料をもらえる職につけるといった妄想など)が感じられるだろうし、女にふられた直後の人ならば「女には気を許すな」という結論にもっていく材料にもできる。親しい友人を失ったことのある人はいわずもがなであろう。様々な要素を含む普遍的な物語といえばそれまでだけれども、ひとつの物語で、ここまで多くの感情や思想を引き出してしまう、そのトリガーになってしまう物語もそう多くはないだろう。

 こころを理解しようとした者は、自分そのものを読み込むことになり、動揺してしまう。たぶらかされてしまう、遊ばれてしまう。こころは悪女である。ビッチである。そんな気がしてならないのです。

 

余談1:「先生」と「私」はホモセクシャルである?

 次の日私は先生の後あとにつづいて海へ飛び込んだ。そうして先生といっしょの方角に泳いで行った。二丁ちょうほど沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。広い蒼あおい海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人より外ほかになかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。私は自由と歓喜に充みちた筋肉を動かして海の中で躍おどり狂った。先生はまたぱたりと手足の運動を已やめて仰向けになったまま浪なみの上に寝た。私もその真似まねをした。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した。

こころ 上 三

 こころの序章で、先生と私が初対面するシーン。この時、「私」は先生のことを海水浴場で2度見かけただけにもかかわらず、勝手に、わざわざ、2丁(約218メートル)も追いかけているのである。そして、自由と歓喜に充ち満ちた筋肉を動かして海の中で踊り狂う。そんなに嬉しいか。先生も愉快ですね、ってまんざらでもないのである。もしかしたらそういうことなのか?と思わせるに充分なシーンであった。

 この先生、私ホモセクシャル説は【上】問題 : 夏目漱石『こころ』パーフェクトガイドで詳しく語られているのでぜひ参照してほしい。トンデモ論である。が、読んでみるとそんな気がしてくるのである。こわい。

 

余談2:「先生」と「K」は堺雅人綾野剛のイメージ

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 海岸に腰を掛けた二人のシーンです。

 私はそこに坐って、よく書物をひろげました。Kは何もせずに黙っている方が多かったのです。私にはそれが考えに耽ふけっているのか、景色に見惚みとれているのか、もしくは好きな想像を描えがいているのか、全く解わからなかったのです。私は時々眼を上げて、Kに何をしているのだと聞きました。Kは何もしていないと一口ひとくち答えるだけでした。私は自分の傍そばにこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんだったらさぞ愉快だろうと思う事がよくありました。それだけならまだいいのですが、時にはKの方でも私と同じような希望を抱いだいて岩の上に坐っているのではないかしらと忽然こつぜん疑い出すのです。すると落ち付いてそこに書物をひろげているのが急に厭になります。私は不意に立ち上あがります。そうして遠慮のない大きな声を出して怒鳴どなります。纏まとまった詩だの歌だのを面白そうに吟ぎんずるような手緩てぬるい事はできないのです。ただ野蛮人のごとくにわめくのです。ある時私は突然彼の襟頸えりくびを後ろからぐいと攫つかみました。こうして海の中へ突き落したらどうするといってKに聞きました。Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうど好いい、やってくれと答えました。私はすぐ首筋を抑おさえた手を放しました。

こころ 下 二八

 ここを読んでいる時、ふと先生が堺雅人、Kが綾野剛だったら面白いのではないか、という気分になりました。ここでの先生の心の機微や奇行が堺雅人的なように思えたのです。だって、言いそうじゃないですか。堺雅人のキャラ。腹が立ってきて、突然立ち上がり、海に向かって叫びだす。「アッーーーー、退屈だ!ちきしょーーーーーーーーー!」って。綾野剛のキャラも言いそうじゃないですか。「ちょうどいい、やってくれ(殺してくれ)」って。伏し目がちに、ボソッと、ねえ!言うよねえ!ねえ!

 

 

ここで読めます。

青空文庫 こころ http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card773.html

 

こゝろ (角川文庫)

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