good by juvenile

それでも青春は続く

バリ島日記④

 日本に住んでいると全く意識しないような問題が海外では当たり前のように起きる。両替所でお金をチョロまかされたり、タクシーで適当な場所に降ろされたり、水道水が飲めなかったり、トイレに紙が無かったり、スリに遭ったり、まあそういった類のトラブルだ。しかし、大抵のトラブル例はガイドブックに特集が組まれていて、旅行者のほとんどは事前に学習し、未然にそれらを防いだり、対策を考えたりすることができる。ただ、海外に到着してしまうと、気分が高揚してか、異国の地に立っているという自己陶酔感のせいか、妙な万能感に支配され、些細なことには気を使わなくなるのものまた事実である。そんな気分の中、あまりにも当然に、ごく自然に出会ったのなら、例えるなら日本でそれに遭遇したのなら、巻き込まれなかったであろう事件の一つについてここに記しておきたい。問題は犬である。

 バリ島の中心街、レギャン通りには沢山の外国人観光客と現地の行商人で賑わっている。その雑踏の中、ときどき犬を見かける。ほとんどの犬がやせ細っていて、虚ろな目をして、とぼとぼ歩いているか、舗道で眠りこけている。鎖もせずに、だ。昼間、バリに訪れた人は皆、他の旅行客と行商人と犬をヨロヨロ避けながら、町を散策することになる。僕もその例外ではなく、確かに鎖に繋がれていない犬を目撃し、「なんて自由な国なんだ!」と思っていた。思っていたはずだったのだ。

 夜、夕食を終えた僕らは、ホテルまで歩いて帰ることにした。20分ほど歩けば着くだろうという見込みだったし、足元の舗道の陥没にだけ気をつければ問題はないと結論づけたからだ。現地のスーパーマーケットで約600円で購入したサンダルを履いて、夜のバイパス沿いをぺたぺた歩く。夜風は涼しく、昼間の熱気がウソのように爽やかで、すこし肌寒いくらいだ。明かりといえば、猛スピードで行き交う自動車のヘッドライトくらいで、街路灯はほとんどない。物陰から、悪漢が飛び出してきたら一巻の終わりだろうね、と笑いあった。10分ほど歩いた時である、後ろから物音がした。振り返ると、白い痩せた犬がこちらを見ていて、目が合ったように感じる。バリにいる犬は大人しいと、昼間の散策でわかっていたし、大丈夫だろうと、目線を外して歩き始めた。すこしして、一緒に歩いていたY氏が不安そうに僕に言った。

「まだ、ついてくるよ」

その時、その白い犬が走りだした。標的は、間違いなく!

 僕らは互いに何を云うでもなく、とにかく走りだした。サンダルで、夜の異国を駆け抜けた。数百メートルは走ったような気がする。後ろを見る余裕はなかった。兎にも角にも、白い犬、白い野犬、白い悪魔から逃げ切ったのである。

 何事も起きなかった。そう結論づけよう。少しでも逃げ足が遅かったら、あの野犬が野生の本能のまま本気で襲いかかっていたら、と思うとゾッとするが、いや、大事には至らなかったのだ、狂犬病にはならない。しかし、当たり前のことを、当たり前のように気をつけるべきであった。鎖をしていない犬が昼間の間、町を歩いていたのなら、夜もまたそうであると。犬は動物であり、動物の行動は読めないということを。そして野犬は存在するということを!

 その後は、路肩で立ちションをしていたタクシー運転手を捕まえ、そのままホテルに送ってもらった。散々遠回りされた挙句、とんでもない金額の料金を請求されたが、野犬に襲われるよりはマシだ、と大人しくそれを支払った。金で解決できるに越したことはない。命のほうが大事なのである。アーメン。

 つづく

 

 

バリ島日記③

 朝からバクバク食べる。何回もおかわりをして、胃袋か頭がおかしくなったかのように、これでもかと食べた。あまりにも食べるのでY氏からは「日本にいる時と人格が違う」と言われてしまった。同じじゃ!

 バリの飯は旨い。東南アジア特有の妙な香辛料や香草はほとんど入っていなくて、ほんとうに美味しい焼き飯って感じだナシゴレン。現地語で「ナシ」は「ご飯」、「ゴレン」は「ごちゃまぜ」という意味。ちなみに「ミー」は「麺」なので、ミー・ゴレンはごちゃまぜ麺(焼きそば)だ。バリにいるとだいたいナシゴレンかミーゴレンが出てくる。チキンとかビーフとか、ごちゃまぜ飯にのせる具材はたくさんあるので、フードコートにいくと非常に迷う。

 朝食と一緒に、部屋から持ちだしたビールを飲んでいたら、現地の男に「アサからビール!?スゴイねえ!」と日本語で驚かれた。その後、今日の予定はあるか?俺の車をチャーターしないか?と売り込みがはじまったのは言うまでもない。ツーリスト相手の仕事をする現地人はたいてい日本語ができるので、英語ができなくても過ごしやすい。たいていはボッタクリだけど。

  ダイビングのツアーに参加する。生まれて初めてのダイビング!酸素ボンベとウェイトを装着して、海に沈む。熱帯魚が目の前を横切り、イソギンチャクの間からはカクレクマノミが顔を出していた。その様子をガンガン写真に収めようとするインストラクタ。良い画を撮ろうとして、ここでピースしろ、もっと下に潜れ、もっとくっつけ、さあ手をふってこいと、海中であれこれ指示を出してくる。ゆっくり泳がせてくれ!

 1時間ほどでダイビング(撮影会?)が終了。ドッと疲れる。海の家(ほんとうに「海の家」と書いてある)で休んでいたら、パソコンを持った現地の少年がやってきて、さっき撮ったダイビングの写真を動画にしたからみてくれ、気に入ったら買ってくれ、と販促。抜かりないなあ。動画の中の僕らは、とても優雅に海を泳ぎ、魚と戯れ、楽しそうにピースをしていた。今思えば、確かに優雅で楽しい時間だったけど、潜っている最中は必死(想像以上に難しい)なので、自己イメージとのギャップに笑う。400,000ルピア(約4000円)で購入。帰国後、友人に解説を加えながらこの動画をみせていたら漫画のように腹を抱えて笑われた。笑いのネタになってしまった優雅なダイビング・・・。

 夕食はクマンギレストランへ。食事をしながら、伝統舞踊であるレゴンダンスを楽しむ。公演中にY氏が「もし、舞台に上がれるようなら踊ってきてね」と突然言い出すので、「そんなもの無いと思うけど、チャンスがあれば踊るよ」と適当に答えておいた。これがいけなかった!そろそろ終幕か、というところで「さあみなさんもご一緒に」と観客を舞台に誘っているじゃないか。僕らのテーブルにもお誘いがやってきて、しぶしぶ前へ出る。いや、しぶしぶというのは嘘で、ノリノリでステージに上った。ベロベロに酔っていたし(言い訳)、ハプニングは思い出になるし(言い訳)、とにかく意気揚々とステージへいき、見よう見まねのレゴンダンスを披露した(もちろん演者の後ろで数人のお客さんが踊っていただけです。)。戻ってきて、「君、楽しそうだったよ」と指摘され、何も言えず。ハレだなあ!

 

つづく 

バリ島日記②

 ホテルにチェックインして、街へ繰り出す。バリの日差しは鋭くて、ほんとうに眩しい。暑い。ジリジリする。そしてお香のような、花の香りが街中に漂っているのだ。その国独特の匂いというものがあって、それを嗅ぐと「異国に来たのだな」と思わせる。

 大きいバックパックを背負った外国人観光客(白人が多い)とそれをターゲットにしたタクシーでごった返していて、ものすごい活気だ。道の両脇にはTシャツやサンダルやサングラスを売っている店がならんでいて(ものすごい品揃え)、気だるそうに店番をしている。気だるそう、というのは、目が合うと「よってきなよ」というような素振りをみせるけど、「ノー、ノー、買わないよ」と断ると「あっ、そ。」とすぐに引き下がるというよな、穏やかな、という程度の意味だ。ガツガツしていない。金を少しでも稼ごう、という熱気はなくて、遊んでいるついでに仕事をしておこう、というようなイメージだ。そういう風土のせいか、ところどころ歩道が陥没している。もうずっと穴が開いている様子で、それを直す気もなさそうである。ぼんやりしていると穴に落ちるので、うっかりしていられない。ある意味スリリングだ。

 腹が空いたので、適当なイタリアンレストランに入る。メニューをみて驚愕。何が書いてあるかさっぱりわからない。かろうじて「パスタ」と「ピッザ」を解読できたので、パスタメニューの一番左上の料理を注文。困ったときは左上のメニューである。ラーメン屋の食券だって左上にその店のオススメを配置していることが多い(とテレビでやってました)。ええい、ままよ!・・・普通のパスタがきました。よかった。

 ショッピングモールを目指してクタビーチを歩く。日光浴をする人たち、ビールをひたすら飲む人たち、飲み物を売り歩く人たち、ウミガメの保護を訴える人たち、散歩をする人たちがごちゃごちゃいるのに、とても静か。なんども言ってしまうが穏やかだ。誰もしつこくないし、誰も無理していないような雰囲気。バイクですら人混みをなんともない風にすり抜けていく。バリ島にハマる人の気持ちがわかる気がした。クタビーチをクタクタになるまで(駄洒落です)歩いて、もう駄目だ、と思った矢先にショッピングモールに辿り着く。サンダルなどをウンウン言いながら漁って、「『そごう』が入っているようなところはやっぱり高い!」と騒いでいた。

 

つづく

バリ島日記①

 バリ島に行ってきた。お土産のジャワティーを淹れていたら、バリのことを思い出したので書くことにする。 

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 羽田空港を出発し、マレーシアのクアラルンプール空港に到着する。まだ朝の6時過ぎだ。

 海外の店員は空港で働く人たちといえども適当だ。フードコートでは、カウンターに腰掛けていたり、楽しそうにおしゃべりをしていたり、携帯をいじっていたりする。でも客がどしどし近づいていくと「いらっしゃい」なんてことを言いながら、テキパキと料理を出してくれる。料理と言っても、盛りつけて温めるだけのプレート料理だ。春雨炒めのような名前も知らない料理をオーダーする。
 しかし、その時である。僕はお金を持っていないことに気づいてしまった。日本円と米ドルとクレジットカードしか財布に入っていない。マレーシアについたばかりで、マレーシアの通貨であるリンギットに両替をしていなかったのだ。日本円か米ドルかクレジットカードで支払えるか、と訴えてみたら「ノー」と言われてしまった。さっきまであんなに適当にしていたのにそこはちゃんとしている。「さっさと両替してこい」という意味合いのことを言われて、両替所に走った。
 支払いを終えて席に戻ると、友人は2本目のビール缶を開けるところで、すでに軽く酔っ払っていた。まだフライトがあるのに、飲み過ぎじゃないか、と思ったが、「旅行だからいいんだ」と彼は言った。

 バリのデンパサール空港につくと、現地ガイドとタクシー運転手の大群が出迎えてくれた。その中の一人が僕を呼び止めて、ツアーガイドだと名乗った。自分の顔写真を渡していないはずなので、通りかかる日本人すべてにそうやって声をかけ続けていたようだ。大雑把である。
 ツアーガイドはニコニコしていて、日本語を流暢に話した。むかし、静岡に住んでいたのだという。車に乗り込むと、ホテルはまだ入室できないから、どこか行きたいところはあるか?と聞かれた。午後も1時を過ぎていたし、入室できないことはないだろうと、ホテルに行ってもらうことにした。ガイドさんはしきりに「ジャカヤサン!ジャカヤサンいくますか?」と騒いでいたがそれは無視した。雑貨屋さんはまだ、いいです(初日なので)。

 

つづく

としまえんの庭の湯にいってきた

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 8月も終盤にさしかかり、だいぶ涼しくなった。野外プールで泳ぐと少し寒くらいだ。曇り空を写した水面からして寒々しい感じ。雲の隙間から太陽がのぞくと、水中がパッと明るくなる。光がプールの底に波を転写していて「ああ、今日も来てよかったな」と思わせる。水面を見ても、水中にいても楽しいので、夏の野外プールはほんとうに良い。もうすぐ今年の営業はおわりだそうなので、センチメンタルになろう(あえて?)。

 豊島園にある「庭の湯」に行ってきた。庭の湯というのは、スーパー銭湯と泳がないプールが合体した、要するに小さいスパリゾートハワイアンズみたいな施設だ。若い客も多い。「大人の湯処」とデカデカと謳っているので、中学生未満は入場不可。厳しい。

 プールブロックにはフローティングスパという、水底からジェットをふかして、人を浮かせるところがあって、ぷかぷか浮いているのが非常に気持ち良かった。全身の力を抜いてただ仰向けで浮いているという体験ほど癒やされるものはない。断言しました。ただ、水流がちょうどお尻にあたって「強力なウォシュレットかな?」と思わなくもなかったので、お腹がゆるい時はやめましょう。やめましょう。

www.niwanoyu.jp

ガッチャマンクラウズインサイトを6話まで見た感想とか

「つばさちゃんはまだ『ガッチャマン』じゃなくて『つばさちゃん』なんすよ。」

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 ガッチャマンクラウズインサイト6話まで見た。ガッチャマンに変身できないつばさに対して一ノ瀬はじめが指摘した言葉。なるほど「三栖立(みすだち)つばさ」は「未だ巣立たない翼」なんすね(今更)。はじめちゃん、相変わらず達観したお言葉で。

 

ゲルサドラは善いベルクカッツェ?

 1期で人間の疑心暗鬼を引き出して世界を混乱に陥れようとしたベルクカッツェ。人間の無意識を引き出して一つにまとめて支配(?)しようとするゲルサドラ。やり口が似てる気がする。気のせい?

 しかしなあ。ゲルサドラは人々の素朴な気持ちをとりまとめて行動する藁人形のようなキャラだったのに、いつのまにか「心をひとつに」するために行動するキャラになってしまったね。「ひとつとはどういうことだ?(byゆるじい)」

ルイルイは2:6:2の法則に自覚的だった

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 ルイルイ、リズム君に2:6:2の法則について指摘された時、すごい顔してたもんね。知ってたよね、知ってたからSNS・GALAX内で報酬を与えて、いわゆるゲーミニフィケーションによって6割の凡人を駆動させていたわけで。その中から「内発性の高い(自発的に動ける)人間を増やしていければいいな~」って思っていたまったり革命戦士だったわけです。逆に言えば悪意の2割、つまり赤クラウズのことですが、これの出現についても当然予想していました。それであの表情なのです。

 

じゃあ、なんでクラウズ放置したの? んなもん現場の判断だ!

 1期のトンネル事故の時、「クラウズを使うしかないか」と仕方なくクラウズを使用し、ベルクカッツェ戦で、人間の善意を増幅させてカッツェに対抗するためにクラウズを一般にばら撒いていた(立川クラウズゲームという名の世紀の革命)。でもこれも現場の判断なわけで、ベルクカッツェが出現しなければクラウズが公開されるのはずっと先だったのでしょう。止むに止まれずの一般公開である。赤クラウズの出現を予想しながらも。革命家はたいていそうだ、都合の悪い部分は見えちゃいない。いや、見ようとしていない。・・・いや、ベルクカッツェに勝つためだもんね、仕方ないね。ルイルイは悪くない。包丁理論だよね。だからそんな顔するな。

 ルイルイ「なぜあなたは、そこまでクラウズを否定するんですか!?」

 リズム「こんな力(クラウズ)は猿には分不相応だからです。」

 僕「(そんなハッキリ言うのやめたげて!)」

 

 インサイトに感じる面倒さ

「目の前の世界、今までと違う角度から見れば、きっと自分だけの新しい答えが見つかるはず(by清音)」

 これが1期のテーマであり答えなんだと思ってるんだけど、だからゲルサドラとつばさが「みんなの心をひとつに(して、同じ方向を向けばいい)」っていうのは1期の否定であって、はじめはこれに賛同しない。

 はじめの思想は「受け入れる心を持って、むき出しの本音をぶつけ合えば、自ずと答えは導き出される」というようなもので、つまり相容れない者達とコミュニケーション、というよりは折衝しろというもの。つけろ折衝力。河原で殴りあって育む友情である(違う)。でも、はじめは受け入れる心をもっているから(なんせベルクカッツェと一体化まで果たしている)、心をひとつにっていう思想も否定しきれないわけで、あまり抑止力にならないんじゃないかな。。ストッパがいない中、ゲルサドラとつばさが暴走し始めてるけど、どうするの、っていうか「サドラにおまかせ」ってなに・・・。

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→サドラにおまかせってなに・・・

余談だけど

清音仕事しろ

 

 

 

 

 

 

プールの夏、読書の夏

 

今週のお題「読書の夏」

 

 週末になると市民プールへいっています。競泳用のプールがあって、そこで泳いでいる。1時間のうち30分は泳いで、残りの半分はプールサイドで日光浴。焼けつく太陽も濡れた肌には心地よいものです。夏サマサマである。

 浅生楽の「女神搭載スマートフォンであなたの生活が劇的に変わる!」を読んだ。なんというかライトノベル風のライフハック本だ。朝風呂に入ろう、とか家事は仕組みを作ってルーチン化しろ、とか見聞を広げるためにサイコロを振って(アトランダムに)街を歩こうとか、なるほどな、という感じ。影響されやすいので、湯船に浸かるようになりました。

 今月の「家電批評」に中島聡氏を描いた漫画が。Windows95で動かないアプリをOS側が補填して動かすようにOSを組み直す作業をしていたというエピソード。すごいな(素人の感想)。以前中島氏のブログLife is beautifulを熱心に読んでいて、Windows95の開発に携わったことは知っていたけど、世界初のパソコン用CADシステムを作ったのは初耳。しかも学生時代に作ったというのだから世界が違います。氏の著書の「おもてなしの経営学」でiTunesiPodの組み合わせがアップルを大きくしたという話をしていて、当時痛く関心したものです。

 「Tarzan」の栄養サプリメント特集も読みました。今、サプリメントいくつか服用していますが、少し変えてみよう。

 

 

 

 

家電批評 2015年 9月号 [雑誌]

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おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由 (アスキー新書)

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Tarzan (ターザン) 2015年 8月27日号 No.678 [雑誌]

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夏目漱石の『こころ』は真性の悪女(ビッチ)である

 『こころ』について考えてたら腹が立ってきたので適当にいろいろ書く。

 本作は夏目漱石の言わずと知れた代表作である。多くの日本人が中学・高校時代に授業で接する作品だ。「先生」「K」「お嬢さん」の三角関係が取り返しのつかない悲劇を生み、主人公の「私」によってそれが語られる。あえて説明するまでもないほど知れ渡ったストーリーである。先生の抱える罪悪感について学校で習った人も多いはずだ。

 そんな授業で大々的に取り扱われるような作品であるからして、歴史的名作であることには間違いないが、先ほど『こころ』を読み返してみて、博識の知人たちと議論をしてみて、こころを理解しようとすればするほど、こころに弄ばれているような気になってきた。

 こころはある種の写し鏡であり、読者の心境やバックグラウンドを色濃く反映させて読んでしまう、そういう性質があるらしい。

 例えば、BL好きには、先生と私がホモセクシャルであるという読み方(後述)ができるし、個人主義や都会と地方という問題について考える人であれば、「田舎は悪である」という物言いへの共感があろう。学生ならば「私」のモラトリアムへの共感、地方出身者であれば「私」の実家での振る舞いやその土地風俗の思想への嫌悪感(大学をでたから高い給料をもらえる職につけるといった妄想など)が感じられるだろうし、女にふられた直後の人ならば「女には気を許すな」という結論にもっていく材料にもできる。親しい友人を失ったことのある人はいわずもがなであろう。様々な要素を含む普遍的な物語といえばそれまでだけれども、ひとつの物語で、ここまで多くの感情や思想を引き出してしまう、そのトリガーになってしまう物語もそう多くはないだろう。

 こころを理解しようとした者は、自分そのものを読み込むことになり、動揺してしまう。たぶらかされてしまう、遊ばれてしまう。こころは悪女である。ビッチである。そんな気がしてならないのです。

 

余談1:「先生」と「私」はホモセクシャルである?

 次の日私は先生の後あとにつづいて海へ飛び込んだ。そうして先生といっしょの方角に泳いで行った。二丁ちょうほど沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。広い蒼あおい海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人より外ほかになかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。私は自由と歓喜に充みちた筋肉を動かして海の中で躍おどり狂った。先生はまたぱたりと手足の運動を已やめて仰向けになったまま浪なみの上に寝た。私もその真似まねをした。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した。

こころ 上 三

 こころの序章で、先生と私が初対面するシーン。この時、「私」は先生のことを海水浴場で2度見かけただけにもかかわらず、勝手に、わざわざ、2丁(約218メートル)も追いかけているのである。そして、自由と歓喜に充ち満ちた筋肉を動かして海の中で踊り狂う。そんなに嬉しいか。先生も愉快ですね、ってまんざらでもないのである。もしかしたらそういうことなのか?と思わせるに充分なシーンであった。

 この先生、私ホモセクシャル説は【上】問題 : 夏目漱石『こころ』パーフェクトガイドで詳しく語られているのでぜひ参照してほしい。トンデモ論である。が、読んでみるとそんな気がしてくるのである。こわい。

 

余談2:「先生」と「K」は堺雅人綾野剛のイメージ

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 海岸に腰を掛けた二人のシーンです。

 私はそこに坐って、よく書物をひろげました。Kは何もせずに黙っている方が多かったのです。私にはそれが考えに耽ふけっているのか、景色に見惚みとれているのか、もしくは好きな想像を描えがいているのか、全く解わからなかったのです。私は時々眼を上げて、Kに何をしているのだと聞きました。Kは何もしていないと一口ひとくち答えるだけでした。私は自分の傍そばにこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんだったらさぞ愉快だろうと思う事がよくありました。それだけならまだいいのですが、時にはKの方でも私と同じような希望を抱いだいて岩の上に坐っているのではないかしらと忽然こつぜん疑い出すのです。すると落ち付いてそこに書物をひろげているのが急に厭になります。私は不意に立ち上あがります。そうして遠慮のない大きな声を出して怒鳴どなります。纏まとまった詩だの歌だのを面白そうに吟ぎんずるような手緩てぬるい事はできないのです。ただ野蛮人のごとくにわめくのです。ある時私は突然彼の襟頸えりくびを後ろからぐいと攫つかみました。こうして海の中へ突き落したらどうするといってKに聞きました。Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうど好いい、やってくれと答えました。私はすぐ首筋を抑おさえた手を放しました。

こころ 下 二八

 ここを読んでいる時、ふと先生が堺雅人、Kが綾野剛だったら面白いのではないか、という気分になりました。ここでの先生の心の機微や奇行が堺雅人的なように思えたのです。だって、言いそうじゃないですか。堺雅人のキャラ。腹が立ってきて、突然立ち上がり、海に向かって叫びだす。「アッーーーー、退屈だ!ちきしょーーーーーーーーー!」って。綾野剛のキャラも言いそうじゃないですか。「ちょうどいい、やってくれ(殺してくれ)」って。伏し目がちに、ボソッと、ねえ!言うよねえ!ねえ!

 

 

ここで読めます。

青空文庫 こころ http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card773.html

 

こゝろ (角川文庫)

こゝろ (角川文庫)

 

 

yuriikaramo.hatenablog.com

 

 

 

 

居心地の良い酒場を探して

 梅雨が明けて夏が来た。太陽の熱気は容赦なく肌を焦がし、汗を吹き出させる。昼間の活動に相当の制限がかかってしまったようだ。夏を待ちわびていたのだけれど、身体がついていけない。自然の脅威である(誤用)。

 夜も熱帯夜の様であるけど、昼間よりはずっといい。過ごしやすい。今のメインの活動時間帯は夜だ。夜の季節がやってきた。

 夜な夜な町に繰り出しては、居心地の良い酒場を探している。孤独を和らげてくれるようでいて、それで嫌な感じのない場所を探しまわっているのである。僕が住む町には相当数の居酒屋やダイニングやバーがあって、それを一軒一軒入ってみる。外からはまったくわからないけれど、思いの外繁盛していて、断られることも多い。みんなそこにいたのか。他人が集まる場所というのはわからないものである。

 いくつか雰囲気のいい酒場をみつけた。顔なじみなったりすれば、もっと楽しくなるのだろうか。もう少し歩いてみようと思う。

 顔なじみといえば、哀しいニュースを聞いてしまった。いつも贔屓にしていた、安くて、美味くて、豪華で、栄養バランスも良い食事を出してくれる定食屋が無くなってしまうそうだ。あんなに良い定食を安く提供していて大丈夫かな、と思っていたけど、やはりか、といった感もある。いままでありがとう。ごちそうさまでした。

 

 ああ、居心地の良い定食屋も探さないとなのだなあ。

眼鏡が合わない

 眼鏡を新調した。度を少し上げて、前よりもずっと遠くが見えるようになった。だけれども、多分度が強すぎるのだと思う。世界がゆがむのである。チカチカする。いわゆる「見えすぎる」状態になっていて、どう考えても合っていない。そのせいなのか、目がすぐに疲れる。今度お店に言って、レンズを変えてもらおうと思う。「2回までは修正できますよっ」って眼鏡のよく似合う店員さんが言っていたし・・・。ああ、時間がないときに買うんじゃなかったなあ。誰を恨めばいいのか、ブライ兄さん。※

 

※ブライ兄さん・・・特撮番組・恐竜戦隊ジュウレンジャーに登場するキャラクター。ジュウレンジャーのリーダー「ゲキ」の実の兄。父親を失った苦しみを弟であるゲキに求め、激しい憎悪を抱えていた。戦いの末、「両親を失い、誰かを憎まずにはいられなかった」と胸の内を吐露した。